>>18
舘鼻公園の下の通り〜「やま文」前〜白銀 の海側は砂浜でした。 「須賀」っていうのは砂浜の事で、新湊一丁目辺りは「浜須賀」 白銀のプール付近は「須賀端」って言いました。 八戸線から浜側になりますが、多くの民家があります。
鮫地区は、八戸線の浜側の通りは石垣があって、その下はすぐ海でした。八戸線と石垣の間には、「石田屋」「ヤマツ旅館」などあって、部屋の窓から釣りが出来たそうです。
八戸は浜側にもかなりの数の民家、商業施設、工場があります。 大震災の津波で、これまでの津波の規模が覆され、今後予想される大津波のハザードマップはかなりの奥地まで被害が及ぶことが予想されておりますが、それでも先人の教え、知恵によって以前と変わらない生活は続くと思われます。
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