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天明の飢饉 弘前大学関根教授が新見解 供養塔が「失政」語る 1:三八上北地方さん  2025/08/15 22:36:41  ID:WiXa9Tpg 削除依頼 
天明の飢饉、通説の前から? 弘前大学(青森県)関根教授が新見解 供養塔が「失政」語った
5/21(水) 11:32配信 東奥日報

2: 三八上北地方さん  2025/08/15 22:37:33  ID:WiXa9Tpg 削除依頼
政府が備蓄米を放出しても収まる気配のない令和の米騒動。米の投機的な売り惜しみや買い占めがその一因との説もあるが、江戸時代の天明3、4(1783、84)年の「天明の飢饉(ききん)」の際も弘前藩の米の投機に関する失敗が被害を拡大させたことが知られている。弘前大学人文社会科学部の関根達人教授がこのほど、弘前市内にある飢餓供養塔の建立年月から、飢饉は失政で既に通説の前に始まっていた可能性がある、という新たな見解を提示した。識者たちは「歴史は繰り返す」と警鐘を鳴らしている。

 「天明の飢饉」は近世日本で最大の被害を出した凶作による悲劇。「新編弘前市史」によると、弘前藩では3年9月から4年6月にかけて、藩の人口のおよそ3分の1に当たる8万人以上が餓死したとされる。

3: 三八上北地方さん  2025/08/15 22:38:08  ID:WiXa9Tpg 削除依頼
関根教授は県内の江戸期の飢饉供養塔の悉皆(しっかい)調査を実施しており、これまで天明の飢饉の時のもの118基を含め129基を確認している。

 新見解を導いたのは、弘前市中別所地区にある、高さ約150センチの供養塔。「天明三年」「二月」の建立年月が刻まれており、天明期で最古のものだ。一般に、天明の飢饉は3年と4年の秋の大凶作によって引き起こされたとされており、関根教授は「中別所の供養塔は3年の初めごろには既に餓死者が出ていた可能性が高いことを物語っている」と、通説との矛盾を指摘する。

 弘前藩など東北の諸藩は、年貢で徴収した米を江戸や大坂に移出して現金に換える「回米」を行っていた。「飢えと食の日本史」(2019年、吉川弘文館)などの著書がある、宮城学院女子大学の菊池勇夫名誉教授(五戸町出身、仙台市在住)によると、全国的に不作だった天明2年、弘前藩は領内も作柄が良くなかったにもかかわらず、米価が上がったため例年通り回米を実施。そこに3年の大凶作が襲った。4年も労働力や種もみの不足に疫病なども重なり、大きな影響が続いた。

5: 三八上北地方さん  2025/08/15 22:40:30  ID:WiXa9Tpg 削除依頼
3年の収穫前に、米の不当な流通が住民を混迷に追いやっていた別の記録も残る。弘前藩庁日記(国日記)には、同年7月、青森町で飯米が払底し、住民が回米に反対して米を買い占めた商家の打ち壊しを行った「青森騒動」のいきさつが記されている。藩庁日記に詳しい前・弘前市文化財審議委員長の福井敏隆さんは「藩の借金返済のため、領民のことを考えずに米を回米に出していた」と言う。

 関根教授は「弘前藩の政治判断には誤りがあった。天明の飢饉の推移については再考する必要がある」と、飢饉の人災的な側面を指摘する。

 菊池名誉教授は「弘前藩は市場経済のリスクを甘く見た。今日の食糧経済はグローバル化や気候変動によってさらに不安定になっている。極端に食料自給率が低いわが国は、米国トランプ大統領の関税政策などへの対応を誤ると、食料不足の再来を招きかねない」と話している。

6: 三八上北地方さん  2025/08/16 01:57:59  ID:j0t1.YBQ 削除依頼
五大飢饉のうち、元和元年や天保8年等が上に入っていない。
確かに元和元年の飢饉は翌春『弘前城堀端に餓鬼山が出来る』ほどの大飢饉であった。なのに犠牲者の具体的な記録はない。
次に、餓死者が多いからイコール大飢饉という等式も実は当てはまらない。なぜか。天保7年飢饉では、津軽藩で死者が多数出ているのに、八戸藩にはない。
これは記録がないのではなく、実際に死者が出なかったのである。
八戸藩が適切、有効な手を打ったのと比べると、弘前津軽藩はあれよあれよと騒ぐだけで手をこまねき傍観するだけ、あるいは凶作なのに貯蔵米を売りに出してしまう失政などで、その差が結果になってはっきり出たのである。

12: 三八上北地方さん  2025/08/16 07:35:09  ID:fKUnRdeA 削除依頼
1人でノリツッコミ

13: 三八上北地方さん  2025/08/19 23:38:35  ID:2uDpxYUg 削除依頼
対泉院の人肉食の碑は天明の飢饉だろ
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