政府が備蓄米を放出しても収まる気配のない令和の米騒動。米の投機的な売り惜しみや買い占めがその一因との説もあるが、江戸時代の天明3、4(1783、84)年の「天明の飢饉(ききん)」の際も弘前藩の米の投機に関する失敗が被害を拡大させたことが知られている。弘前大学人文社会科学部の関根達人教授がこのほど、弘前市内にある飢餓供養塔の建立年月から、飢饉は失政で既に通説の前に始まっていた可能性がある、という新たな見解を提示した。識者たちは「歴史は繰り返す」と警鐘を鳴らしている。
「天明の飢饉」は近世日本で最大の被害を出した凶作による悲劇。「新編弘前市史」によると、弘前藩では3年9月から4年6月にかけて、藩の人口のおよそ3分の1に当たる8万人以上が餓死したとされる。
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