「著しく礼を欠いていた」――1月4日の臨時評議員会の後、貴乃花親方をそう糾弾したのは池坊保子議長だ。しかし、その彼女の出で立ちは、礼節を重んじたものだったのか。彼女は黒いニットカーディガンに黒のタートルネックセーター、同じく黒のロングスカートに黒色のローヒールのパンプスという格好だったが、
「率直に言って、あの日の池坊さんのファッションは礼節を欠いたものと言わざるを得ません」
と、ファッションジャーナリストは一刀両断する。
「スーツ姿の男性に囲まれる評議員会という場で、襟なしのカーディガンに襟なしのセーターではフォーマルな印象を与えない。襟付きのジャケットを羽織るなど、あの場に合った服装をするべきでした。貴乃花親方に礼節を説いていながら、ご自分はどうなのか、という印象ですね」
彼女が身に着けていたアクセサリーについても、
「耳元のイヤリングのお値段は6、7万円ほどでしょうが、良い印象は受けません。何より目につくのがまつ毛。つけまつ毛なのかエクステなのか分かりませんが、まつ毛が太い束になってしまっているのが気になるのです」
池坊議長は元子爵・梅渓通虎(うめたにみちとら)の三女。華道池坊45代目家元の池坊専永氏と結婚したのは、1963年のことである。が、家元夫人として陰から夫を支える――といったタイプではなかったらしく、84年には「ペントハウス」という雑誌でセミヌードを披露し、大騒動を巻き起こした。その騒動の直後、本誌(「週刊新潮」)は〈「見てはならぬものを見た」と告白する夫「池坊専永」氏〉(84年2月9日号)と題する記事を掲載しているが、そこで専永氏は衝撃的なエピソードを次のように語っている。
〈私が離婚を決意したのは、昭和52年1月5日、正式には6日の午前1時ごろでした。私が帰宅して台所の隣の居間の戸をあけたところ、保子と家庭教師の京大生・加藤祐介(仮名)がそこにいたんです。保子は青い着物で、加藤は下半身裸でした。要するに男女の現場を私が見てしまったんですよ。/ガラッとあけましたから2人は飛び上りましてね。すぐに2人は土下座して私に謝りました〉
娘の家庭教師に手を出した過去について、当の池坊議長に聞くと、
「人生において、消したいと思う失敗もありました、ということです……」
いずれにせよ、礼節という言葉が彼女に似つかわしくないものであることは間違いないのだ。
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